海底ならぬ深淵の君へ
僕は、分かってもらいたいんだ。
僕らのいた海の底が、どんなに暗くて… 冷たいか…。
分かってほしいだけなんだよ!
※この話はHSP(敏感な人)がいるという概念も混ざっています。HSPって何?という方はこちらの記事もどうぞ
NHKで放映された「海底の君へ」という作品を観ました、再放送でした。
その、予告篇を観ただけでシンクロし過ぎて泣いてしまったので、怖くて観られなかったのです。
程度はここまでではありませんが、自身も似たような経験をし、今でも苦しんでいる部分があります。
だからこそ、主人公の心境が手に取るように解るのです。
暗くて、冷たい場所にずっといる、その感覚が。
いじめは立派な犯罪行為です。
それをいじめという言葉でオブラートに包んでしまっていること。
いじめ=ハラスメントという認識が浸透していない
いじめが「ハラスメント行為」であることも根絶できぬ原因のひとつだと思います。
加害者側はみんな口を揃えて
「そんな積もりはない、遊んでいただけ」
と主張するわけでして。
ハラスメントは、した側がどう考えてそうしたか…ではなく、
された側が「どう感じたか」
ということ。
かくいう自分も小学生の頃は6年間、ほぼ2年サイクルで様々な人にオムニバス形式()で虐められました。今となっては意味の分からない言いがかりもありますし、何より卑怯なのが複数でいじめてくることです。
親は「無視が一番」と言ってましたが、どんなに無視しても、卒業してもしばらくは止みませんでした。完全に無視出来てなかったのか?(n’ω’`)
※解決した経緯は省略します
いじめた側に罪の意識はまったくない
そして、そういった人たちの大半が、自分のした事なぞキレイサッパリ忘れ、自分が小さいころに誰かをいじめていたなどとは打ち明けもせずに、さも自分はいい人 or 普通の人。と、何事もなかったかのように己の人生を自分なりに謳歌しているのではないかと推測できます。
件のドラマでもまったく一緒でした。
私は、子供の頃にいじめを受けた人の成人後が一般的にどうなるのかは知りません。ただひとつ言える事実は、かつて自分の受けたいじめの数々が、ひとつひとつがさしたることではなかったのだとしても…
否定され続け、小さなキズがいくつも積み重なった結果、それは取り除けない硬くて小さな石ころとなって自分の心にこびりつき、残ってしまいました。
その石は自身の生体サイクルや体調云々、疲労の蓄積によって大きくなったり小さくなったり。時折その石ころが石ころのくせに重すぎて。
小さい頃にいじめられ、成人してからもまだ自分の価値を見いだせない苦しみから抜け出せない。
自分だけじゃないんだなー、って思いました。
普通に過ごしたいのに、それが上手く出来ない。
普通に…
そういった辛さを克服して幸せに暮らしている人もいるのでしょうけど、そこはやはり、持って生まれたモノとかでしょうか。
私は上手く生きることが出来ていないな、というのは常々思います。
何となく声が聞こえます。
「いい加減忘れなさい」
と。
言いたいことは分かるんですけどね…ううむ。
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